[スペックマニア] 30回

日本のスポーツ車 1960〜1990

第6回  トヨタスポーツ800
(UP15型)1965年

ほのぼのとしたオーナメント。
これは時代を感じさせる。
ボアxストロークが83x73mmのショートストローク強制空冷OHV
フラットツイン790cc。4バルブ/5バルブDOHCが当り前となった
今ではまさしく化石のようなパワーユニット。もとが経済車パプリカ用
なので60km/h定地燃費は31km/L!とバイク並み。


ウルトラ・ライトスポーツ。翼のない軽飛行機
 鈴鹿500kmレースの第一回は1966年1月開催されたが、これは日本における長距離レースの第一号でもあった。
そしてこのレースには当時の日本のスポーツ・タイプの車のほとんどすべてがエントリーしていた。
トヨペット・コロナ、スカイライン、そしていすゞベレットなどだが、ほかにヨーロッパの名門スポーツカー、ロータス・エランの姿もあった。
 そしてこうした(相対的な)大排気量車にまじって出走していた一群のトヨタ・スポーツ800の走りっぷりがやがて観客の注目を集めはじめた。
少くとも一回は給油のためのピットインを繰り返す大排気量車と対照的にスピードこそ遅いものの、特製の69リットルのガソリン・タンクを備えたS800はピットインなしに走り続け、じりじりと順位をあげ、さらにチーム・メート同志で行うスリップ・ストリーム(先行車の後にぴったりつける)走行により無駄なく燃料消費をおさえるなど巧みな作戦により、終盤2、3位を占め、さらにはトップを行くロータス・ユランの故障によりトップにおどり出るや、そのまま1.2位をしめて優勝してしまった。
観客は事の意外さにあっけにとられた。
 そして、このエピソードがトヨタS800(工スッパチとかドタハチ、ヨタハチの愛称があった)の最大の特徴のいくつかをほっきりと示してくれる。
極度に軽量化したエアロダイナミック・ボディによる空気抵抗の減少、そして小排気量ながら安定した、息の長い走行で、より強力なライバルから巧みに逃げ切ってしまう−こうした性格のスポーツ・タイプは当然世界でも珍しい在在だった。
 トヨタS800の原型は、62年の第9回東京モーター・ショーに、パプリカ・スポーツの名で参考出品されたモデルである。
このデザイナーが、ダットサン110/210型のデザインで毎日工業デザイン賞を受けた佐藤章蔵氏である。
このプロトは第二次大戦中の戦闘機などと同じく、後方にスライドするキャノピー(天蓋)が特徴だったが、生産型では雨天の際の不便さ、乗降の無理(特に女性の)を考慮して通常のドアに改められている。
 しかしきわめて簡素なフロントグリル(開口部にはデフレクター兼ガードが一本だけ)、オーバーライダーだけのバンパー、無駄のない曲面構成のボディなど、デザイナーの主張がそっくり生産型に引きつがれている。
 このボディには2つの大きな特徴があった。第一はそのサイドウインドーに、曲面ガラスを使用したことで、これは前面投影面積の減少に大きく寄与している。
第二は、有名なポルシェ911の”タルガ・トップ”にほぼ一年先がけて、着脱可能のルーフ・パネルを採用したことである。
 この航空機を思わせるエアログイナミックボディの設計には、入念な風洞実験が行われ、それにより、前面投影面積は1.33uと、ポルシェ904の1.32uとほぼ同一となった。
また空気抵抗係数Cd値は0.30をやや上回るすぐれた数字を示した。
 トヨタS800は、量産車パプリカのコンポーネンツ(構成部品)を多用して安価につくられているが、エンジンも当然ながらパプリカの空冷水平対向2気筒OHV型(U型)に手を加えた2U型である。
 ボアは5mm延長したが、ストロークは73mmと同一で、排気量は697ccから790ccへと増大してある。気化器もベンチュリー径を増大し(26→28)気筒当り1コずつ取りつけてあった。
またクランクシャフトまわりも強化され、圧縮比も8から9と高められた。
4速ギアポックスを介し0〜400mは18.4秒、最高遠は155km/hである。
これは当時の代表的ライト・スポーツカー、オースチン・ヒーレー・スプライトのそれを10km/hオーバーしている。
しかも上手に走らせれば燃費は市街地で18km/L、郊外のクルージングでは28km/Lと、まさに当時の若者の軽い財布の負担とならぬ数字だった。
トヨタS800こそは、日本のモータースポーツの、いわば青年時代を象徴する傑出した作品の一つだった。


全長×全幅は3610×1465mm。
これはユーノスロードスターより36cm短かく、21cm狭いコンパクトなサイズ。

ボンネットフードと同じカープを描くインストルメント。タコメーターは5500rpmからレッドゾーン。イグニッションはタコメーターの左側、センターコンソール部にある。

       主要諸元  トヨタスポーツ800

カタログ
ショーで参考出品されたトヨタスポーツ800の試作車は航空機のようなスライディング・キャノピーを装備していたが、この市販型では実用性と生産性からデタッチャブルトップとなる。丸いフォルムは何となくガルウィングドアのセラを思わせる。
パプリカペースのFR、車重は何と何と580kgしかない。現行の660cc規格の軽自動車より50kg以上は軽い。この車重ゆえ70psのライバル・ホンダS800と対等の勝負がたった45psでも出来たのだ。

オープントップならではのカタログ写真。現在もそうだが、スポーツカー、スポーテイーカーのインテリアはほとんど黒。このヨタ8、コピーにあるように車体サイズのわりには空間に余裕があり、大柄なドライバーでもけっこうリラックスできた。
 エンジン 
   種類/型式
   ボアxストローク
   総排気量
   圧縮比
   最高出力
   最大トルク
   燃料供給装置
   燃料タンク容量
 トランスミッション
   型式
   変速比 1/2/3
         4/5/R
   最終減速比
 シャシ
   ステアリング
   サスペンション    前
               後
   ブレーキ       前
               後
   タイヤ
 ディメンション&ウェイト
   全長x全幅x全高
   ホイールベース
   トレッド     前/後
   最低地上高
   室内長x幅x高
   車両重量
   乗車定員

 車両価格(当時)
   59.5万円

空冷対2 OHV/2U-B
83.0x73.0mm
790cc
9.0
45ps/5400rpm
6.8kgm/3800rpm
SUキャプX2
30リットル

型式4MT
4.444/2.400/1.550
1.125/−−−/5.812
3.300

ウォーム&セクタローラー
Wウイッシュボーン/トーションバー
リーフ・リジッド
ドラム
ドラム
6.00−12−4PP

3610x1465x1175mm
2000mm
1203/1160mm
175mm
−−−
580kg
2名

モータースポーツ

「ヨタハチ」といえば故浮谷東次郎の活躍が思い出される。特に65年7月18日の船橋サーキットオープニングレース「全日本自動車クラブ選手権レース」のGT‐1クラスでは、序盤クラッシュのため16位まで落ちながら、田中健二郎や黒沢元治のプルーパード、生沢徹のS600などをかわし、わずか30周のレースで奇跡の大逆転優勝を飾った。しかし、その天才は同年8月20日、鈴鹿での練習中に事故、翌日この世を去った。

エポック
トヨタスポーツ800の愛称はヨタハチ。デビューした1965年(昭和40年)は前年の東京オリンピックを起爆剤とした高度成長時代の真っ只中。なぜかボウリングが大ブーム、川上巨人がV1と国内は好景気。平和なものだったが、中国では文化大革命、米ソの宇宙実験競争がエスカレート。そしてホンダF1(1500cc・V12)がメキシコGPで初優勝。世界をアッと驚かせたのがこの年。

当時のインプレッション
パブリカ用空冷水平対向2気筒をボアアップしてツインキャブとした強化型エンジンは振動・騒音が大であったが、2気筒にしてはよく回った。今でも不思議なのは、市販型ではとてもホンダS800の敵ではないのに、レース用だとむやみに速かったことだ。
エンジンは古臭いがスタイルとインテリアは洗練度高く、よい趣味でとりまとめられていた。デチャッタブルトップも洒落ている。シフトフィーリングはなかなかよい手応えだ。

エピソード
ヨタ8の空カボディは航空機のそれに近かった。ボンネットはアルミパネル、トップはFRPとし徹底した軽量化がはかられている。現在、このコンセプトワークで作られているクルマは唯一、NSX?
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