[スペックマニア] 35回
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第10回 ホンダ S800/S800M (AS800型)1965年 |
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一足とびに100マイル(160km/h)を達成 S600の項で述べたように64年3月にS600へと進化したホンダのミニスポーツはビジネスに、またスポーツにと幅広い活躍ぶりを示した。 さらに64年7月には国際自動車エレガンス・コンクールで入賞を果す”おまけ”もついた。 同年11月(国内は65年2月)にはクーべを追加、こちらはヨーロッパでも人気を得た。 さらにデラックス装備のMタイプも加わりS600は4種のバリエーションで順調な生産・販売が続いた。 しかし、より大きなパワーを求める声も強く、65年秋の第12回東京モーター・ショーには排気量791ccのS800とS800クーべが出品された。 このときの会場にはS600の姿はなく、やがてS800(とS600クーぺ)のみがラインアップにのせられることになった。 S800のエンジンは直4DOHCローラー・メーンベアリングつきでポアは54.5mmから60mmへ、ストロークは65mmを70mmに延長してあり、例によってケイヒンのCV気化器を各気筒ごとにとりつけ、圧縮比9.2で(600では9.5)、出力は70PS/8000rpm、最大トルク6.7kgm/6000rpmを発生した。 いずれも最高回転数はS600の場合よりも500rpmずつ低下している。 車重は710kgと相変わらず軽量で、馬力当り重量は10.1kg/PSを示し、0〜400mの加速は16.9秒、最高遠160km/hと、ついに”本物”のスポーツカーの性能水準に到達した。 しかしS800の輸出タイプはその駆動系統が大幅変更された。 世界でも類のないユニークなチェーン・ドライブをやめ、常識的なリジッド・アクスルを採用したわけである。 元来チェーン・ドライブは欧米諸国ではあまり好まれず、むしろ耐久性、信頼性を重視し、従来のメリットの一つであったトランクの広い荷物スペースを多少犠牲にしてもこの方式に踏み切った。 従来はデフをフレームに固定してあったが、半浮動式のリア・アクスルを採用し、デフもアクスルの位置にまで後退させてある。 左右2本ずつの上下のラジアス・アームとコイル/ダンパー・ユニットによりアクスルを吊り、横揺れを防ぐためのパナール・ロッドがフレームに支えられていた。 このサスペンション・レイアウトのため、スタート時にテールが持ち上がることはなくなった。 日本国内では66年3月にリジッドタイプを発売。それまではS600同様チェーンドライブのS800も市販されている。 一方前輪は従来通り、タブル・ウィッシュボーン/トーション・バー独立懸架である。 ブレーキは前後ともドラム・タイプだが、前輪のディスク・ブレーキはオプションで、欧米への輸出型ではこれが標準装備となっていた。 ステアリングも従来通り、ラック&ピニオン・タイプである。 ホイールベースも2000mmと変わらず、全長×全幅×全高は3335×1400×1215mmとS600より全長が35mm、全高が15mm増大している。 S800になりこのミニ・スポーツカーの人気はより確定的なものとなり、ヨーロッパでも評判が高かった。 例えばモナコの故グレース王妃も愛用していたし、当時のマルセイユの市長もこれを乗り回していた。 価格も発売当時(66年)で65万8000円(クーペは69万4000円)とリーズナブル。 トヨタスポーツ800の59万5000円をやや上回ったものの、この両車が日本のモーター・スポーツの底辺のドラマを大いに盛り上げたことは改めて言うまでもない。 ホンダのS500からはじまるミニ・スポーツの系列は、68年5月に最後のマイナー・チェンジが行われ、最終型S800Mとなった。 これは北アメリカ向けの安全基準対策モデルを国内向けに改めたもので、性能的には従来と変わりない。 ただし、ブレーキは前輪に、アネット・タイプのディスク、ダンロップSP3ラジアルタイヤが標準となっている。 ブレーキ油圧警告灯を新設し、尾灯制動灯の大型化が行われ、サイド・マーカーや反射器を大きくした点がS800Mの主な変更点である。 そしてS800は、国内でも海外でも、ホンダの名を大いに売り込むことに成功した。 Sシリーズも70年7月をもって生産中止となった。 S800の生産台数は11,406台。
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主要諸元 ホンダS800M | |||||
メカニック
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エンジン 種類/型式 ボアxストローク 総排気量 圧縮比 最高出力 最大トルク 燃料供給装置 燃料タンク容量 トランスミッション 型式 変速比 1/2/3 4/5/R 最終減速比 シャシ ステアリング サスペンション 前 後 ブレーキ 前 後 タイヤ ディメンション&ウェイト 全長x全幅x全高 ホイールベース トレッド 前/後 最低地上高 室内長x幅x高 車両重量 乗車定員 車両価格(当時) 75.0万円 |
直4DOHC/AS800E 60.0×70.0mm 791cc 9.2 70PS/8000rpm 6.7kgm/6000rpm CVギャプx4 25リットル 4MT 4.000/2.480/1.613 1.143/−−−/4.572 4.710 ラック&ピニオン Wウイッシュボーン/トーションバー 5リンク・コイル・リジツド ディスク LT式ドラム 145SR−13 3335x1400x1215mm 2000mm 1162/1150mml 160mm −− 755kg 2名 |
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バリエーション 昭和41年3月、輸出タイプと同様リジッドアクスルになったS800には、バリエーションが追加された。これはS800のデラックス版でSM800と呼ばれ、5万円高でラジオ、ヒーター、消音効果のあるサプマフラーを装着。メタリック塗装も用意された。昭和43年4月に追加されたS600Mは輸出モデルを国内用に手直ししたものだからSM800とは違う。 画像は輸出用S800クーペ。左ハンドルでドアミラー。S800Mと同型の大型サイドマーカーランプが付〈。リアアクスルはリジッド) |
カタログ S800Mとなっても基本ボディはS500時代からのもの。全長3335mm・全幅1400mm・全高1215mmはほとんど現在の軽の枠(長さが35mmだけ長い)。これはホンダビートのディメンション。車重も出力もほとんど近い。片やミッドシップとなったが、ご先祖サマとどっちが速いかな、なんてヤボな話はやめとこう。 排気量アップにともなう吸気系=エアクリーナーの容積増大のため、ボンネットにはそれを逃げるふくらみ=パワーバルジが設けられた。写真は国内仕様の初期型S800。この時はチェーンドライブ、ホワイトリポンの6.5−13バイアスタイヤである。車重は720kg。 |
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当時のインプレッション ボンネット上にふくらみがつけられ、テールライトが横長型に変えられたS800は軽合金エンジンの排気量を200ccほど増されただけで一挙に「大人っぽい手応え」のエンジンになった。 とにかくトルク感が大幅に向上した。許容回転数は下がったが、それでも9000rpmくらいはラクに回ってしまうので、ついぞS800でのんびり走った記憶はない。 最終モデルではオーソドックスなリジット・アクスルに変わりハンドリングも落着いた。 |