[スペックマニア] 38回
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第14回 トヨタ1600GT (RT55型)1967年 |
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市販期間わずか1年2ヶ月。キラリと光る名車だった 市販期間はわずか1年2ヶ月という短命モデルで、累計生産台数も2222台にとどまったが、国産スポーツモデルの歴史の中ではキラリと光る足跡を残したのがこのトヨタ1600GTである。 1962年(昭和37年)9月に日本最初の国際公認レーシング・トラック、鈴鹿サーキットがオープン、その翌年の1963年(昭和38年)5月にはこの鈴鹿サーキットで第1回の日本グランプリ・レースが開催されて、日本のモータースポーツは本格的な幕開けを迎えていた。 当然のことながらメーカー各社もレースでの勝利を目指してしのぎをけずっている。 1966年(昭和41年)1月、鈴鹿に続く国際公認トラック、富士スピードウェイがオープン、3月にはこの完成を記念した第4回クラブマン・レース富士大会が開かれた。 そしてそのツーリングカー部門で総合1位、2位をさらったのはコロナXプロトタイプ「RTX」であった。RTXの名はファンにとっても耳新しいものだった が、ボディスタイルはアローラインのコロナHTそのものであったから、レース用にチューンアップされたレーシング・コロナであることは容易に想像できた。 事実、RTXはSUツインで90PSの4R型エンジンを搭載のコロナHT1600をベースにした高性能プロトであった。 ただし、エンジンは1600Sの4R型をヤマ八発動機がハイチュー二ング、DOHC化した9R型が搭載されていた。 4気筒、D0HC1587cc、最高出カは110PS/6200rpm、最大トルクは14.0kgm/5000rpmで、最高速は175km/h、ゼロヨン17.3秒のスペック。 アローラインの3代目コロナの車両型式はRT40、追加設定されたコロナHTはRT50であったから、RTコロナのプロトタイプXが「RTX」なるネーミングの由来であった。 このRTXは翌年の1967年(昭和42年)7月の鈴鹿12時間耐久レースにも2台が出場、またも1位、2位を独占した。 そしてその翌月の67年8月、RTXはトヨタ1600GTの名で市販を開始する。車両型式名RT55。外観デザインは従来のコロナHT1600とほとんど変わらなかったが、9R型のDOHCエンジンに加えて、内装も3ヶ月早く登場した兄貴分の最高級スポーツカー、トヨタ2000GTから流用した豪華装備が盛りこまれていた。 リクライニングつきビニールレザー張りのバケットシートにフルスケールの大径メーターなどの計器盤、コンソールボックスなどがそれであった。 ギアボックスも4速のほかに当時はまだ珍しい5速をそろえた。 価格は4速が96万円、5連仕様(トヨタ2000GT用)が100万円ピタリであった。 足まわりはサスペンションがフロント、ウィッシュボーン/コイル、リアはリーフリジッド、ブレーキはフロントがディスクでブースターが標準、リアはPCVつきのLT式ドラムである。 タイヤは6.45・14−4PRのロープロファイルとおとなしいが、もちろんレーシング・タイヤの装着も配慮されている。 ブラックのラジエターグリルで精悍さをきわ立たせたトヨタ1600GTは海外ラリーや国内レースに出場。 当時の国内ツーリングカーレースではGT‐Bの名でおなじみのS54型のスカイライン2000GTやペレット1600GTが活躍していたが、トヨタ1600GTは1968年(昭和43年)1月の全日本鈴鹿390kmレースのツーリング部門での優勝を手はじめに、スカG、ベレGを押えての快勝が続いた。 とくに5月の68年日本GPでは1位、2位、4位を占めて、スカGは3位、5位、6位の完負。 しかし68年9月、新シリーズのコロナマークUの登場で、トヨタ1600GTの生産は打ち切られ、わずか1年余での退場となった。 最後の一花は生産中止後の69年日本グランプリ。GT-Rの初陣にひとアワ吹かせようと挑戦。ゴールではトップにいたが、ペナルティをとられ、GT−Rに破れる。2000ccとほとんど対等に闘えた1600ccのエリートであった。
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足回り
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主要諸元 トヨタ 1600GT
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バリエーション トヨタ1600GTと同じボディ形状を持つ1600S。エンジンは4R型(1587cc‐0HV)で最高出力は90PS。当時の価格は80.3万円だった。 |
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エピソード コロナ1600Sの4R型OHVはヤマハ発動機によってDOHC化され、9.0の高圧縮比とソレックスのツインキャプにより、110PS/6200rpm14.0kgm/5000rpmを誇った。 9R型と名付けられたこのユニットには4速および5連のミッションが組み合わされたが、5速ミッションのGT−5はトヨタ2000GTと同一のものである。発売前にトヨタRTXとしてレースに参加。サーキットを席巻し、動力性能、耐久性の高さをアピールした。 |
カタログ ボディバリ工−ションの豊かさ(4ドア/5ドア/2ドア)を強く打ち出したコロナのカタログ。サイズは20(タテ)X21cmという可愛らしいものだった。 |
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当時のインプレッション コロナ1600Sクーペのボディにヤマハが開発した1600ccのDOHCを載せたのが1600GTであるが、これはなかなか優秀な快速性を持っていた。リアサスはまだリジッド式でリーフスプリングを用いていたが、それなりにコーナリング特性は素直で扱いやすかった。 ただステアリングはあまりシャープとはいえなかった。もっともこの当時のトヨタ車はおしなべてステアリングがダルだった。 スタイルが家庭的にすぎていたのが惜しまれた。 |
モータースポーツ トヨタ1600GTは国内レースで活躍した。この写真はそんな中のワンカットだ。とくに印象的だったのは発売直前のレース。67年夏の鈴鹿12時間耐久レースにトヨタRTXとして出場し、見事1〜2フィニッシュを飾った。そしてそれから1ヶ月後にトヨタ1600GTとして発売された。 |
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