日本のスポーツ車 1960〜1990



第23回  いすゞ 117クーペ
(PA90型)1968年


最高速=190km/h 0→400m=16.8秒
(カタログ値)



ジウジアーロのデザインは他を圧倒する”美”があった。

 人気カーデザイナー、ジウジアーロがデザインを手がけた美しいファストバックスタイルの4シータークーペで、1966年(昭和41年)3月のジュネーブショーに出品されて人気を集めた。
ただし、市販は約3年後の1968年(昭和43年)12月で、4気筒、DOHC1584cc、120PSのG161W 型エンジンを搭載してデピューした。ゼロヨン16.8秒の駿足クーペでもあった。
 1970年(昭和45年)10月、EGIつき1600DOHC130PSと1800ツインキャブの115PSを追加、3モデルとなった。
一次プレス以外はハンドメイドの少量生産モデルなので117クーペは価格も高く販売台数も月販50〜60台にとどまっていた。
 その117が量販化に転換したのは1973年(昭和48年)3月からで、エンジンはDOHC1817cc、ECGlで140PSをはじめ、DOHC‐125PS、1800・SOHCツインキャブ、シングルキャブの4機種となり、DOHCの1600は消えた。
量販化による価格の大幅ダウンで117人気は急上昇、1974年(昭和49年)以降は月販1000台前後が続いている。
 1978年(昭和53年)12月には4気筒、DOHC・1949cc、ECGI・135PSをはじめとする2000スターシリーズにスケールアップ。
1981年(昭和56年)6月、ピアッツァ登場で退場した。



初期モデルは一台一台たたき仕上げで、ボディのラインを構成していった。その流麗なスタイルは海外でも絶賛された。 ナルディタイプのウッドステアリングに、台湾楠のメーターパネル。当時の高級車には木目が多用されていた。 室内の造りも高級スポーツクーペにふさわしい雰囲気のある仕上がりだ。カタログ上は4人乗りだが、実質的には2+2。


諸元  いすゞ 117クーペ
エピソード
国際自動車デザイン賞を獲得した117クーペ
 「ギア・いすゞ117スポーツ」として誕生した117クーペは、66年3月、ジュネーブショーに出品。
7月、イタリア国際自動車デザイン・ビエンナーレで名誉賞を受賞。
10月、第12回東京モーターショーにも展示された。が、発売は68年12月。
ジュネーブショーより実に2年9ヶ月の歳月が流れていた。
これはベースとなるシャシをベレット1600GTから新型のフローリアンに変更したためで、フローリアンの生産準備が遅れたことによる。
    
1968年当時のフローリアン。117と同じシャシを持っているとはとても思えない。
 エンジン 
   種類/型式
   ボアxストローク
   総排気量
   圧縮比
   最高出力
   最大トルク
   燃料供給装置
   燃料タンク容量
 トランスミッション
   型式
   変速比 1/2/3
         4/5/R
   最終減速比
 シャシ
   ステアリング
   サスペンション    前
               後
   ブレーキ       前
               後
   タイヤ
 ディメンション&ウェイト
   全長x全幅x全高
   ホイールベース
   トレッド     前/後
   最低地上高
   室内長x幅x高
   車両重量
   乗車定員
 車両価格(当時)
     172.0円

直4・DOHC/G161W
82.0x75.0mm
1584cc
10.3
120PS/6400rpm
14.5kgm/5000rpm
ソレックスx2
58リットル

4MT
3.467/1.989/1.356
1.000/−.−−/3.592
4.100

RB
Wウィッシュポーン/コイル
リジッド/リーフ
ティスク
LTドラム
6.45H−14−4PR

4280X1600X1320mm
2500mm
1325/1310mm
180mm
1675x1290x1070mm
1050kg
4名
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