日本のスポーツ車 1960〜1990



第26回  いすゞ ベレット1600GTR
(PW91W型)1969年


最高速=190km/h 0→400m=16.6秒
(カタログ値)



DOHC搭載で一気に第一線へ復帰。

 63年のショーに登場、64年に市販開始されたペレットGTも、並いる強豪ライバノレの出現で少々色退せてきた。
トヨタ1600GT、スカイラインGT−Rなど、「本格GT」にはDOHCエンジンが必要条件となりつつある時代、よく回るといってもOHVではいささか役不足であり、GTカーのイメー ジとしてもふさわしくない。
そこでいすゞは、68年発表の117クーペ用に開発したDOHCエンジン、G161W型をペレットGTに移植することにした。
 このペレットとしては最強バージョンが1600GTR(カタログの表記には1600GT‐TypeRとある)型式名PR91Wである。
発売にさきがけて、いすゞは69年8月10日に開催された、鈴鹿12時間レースにアルミボディ・ペレット1600GT−Xをエントリー、トヨタ1600GTを抑えて総合優勝をなし遂げた。(ドライバーは浅岡重輝/形山覚次)これが市販型GTRのプロトタイプということになる。
ただこのG161Wエンジンは117専用とされ、量産型DOHCではなく、コスト高(ヘッドがハンドメイドに近い)と生産量の問題で、すんなりとGTRの生産、販売が決まったわけではないという。
ともあれ、OHV時代からのエンジンの耐久性には定評のあったベレGはツインカムとなって一段とそのパフォーマンスに磨きをかけた。
 G161W‐DOHCは、排気量1584cc(82×75mm)圧縮比、10.3、ソレックス/三国の気化器を2連装して、出力は120PS/6400rpm最大トルク14・5kgm/5000rpmを発生した。
 車重970kgで、馬力当り重量は8.1kg/PSとなる。4速手動ギアボックスを備え、0〜400mは16.6秒、最高速は190km/hとなっていた。
これは先発のライバル、トヨタ1600GT(RT55)をパワーで10ps、最高遠度で15km/hも差をつけ、1600クラスで第一級のスペックとなった。
 エクステリア=ボディシェルはオリジナルのオーバルシェイプそのままだが、性能に見合った意匠が施されている。
つや消し黒塗りのボンネット、バンパーは分割式となり、内側に大径フォグの精悍なスタイリングが特徴。
また室内もシートから天井まですべて黒色に統一した。
そのシートも当時珍しいバケット・タイプで、ステアリング・ホイールも太く革巻きとなっており、スポーツカーのイメージは満点だった。
 シャシー関係は、基本的には他のバージョンと構成は同じだが、リア・サスペンションの横置きリーフは1枚から3枚にふやし、ブレーキはサーボ・アシストつきのディスク/アルフィンドラム・タイプとなっていた。
タイヤは165HR−13ラジアルをはき、リミテッド・スリップ・デフも標準装備されていた。
 エンジン生産の量的な問題と116万円という高価なためもあり、GTRの月販は100〜150台程度の少数派ではあったが、独得のイタリア車のようなレーシングムードがマニアに愛され、73年まで生産が続けられた。
なお、ペレットシリーズは70年にはSOHC1800ccの1800GTを追加、71年には最後のマイナーチェンジを受けている(フェイスリフトと安全対策)。
この最終型はオーバーデコレーション気味でベレGフアンの評判はかんぱしくなかった。



この角度から見ると、ペレGの丸っこさがよくわかる。現代のクルマも丸々しているが何となくヌメッとしていて有機体風。
このペレットのラインの方が何となく親しみやすい(と思いません?)。
アルミホイール以前の時代ゆえ、当然ステールホイールなのだが、メーカーではデザインに工夫をこらしている。ペレットGT‐Rの場合リム部をメッキに、センターをつや消し黒塗装としてスポーツ感を演出。 ブラックアウトされたインテリア。ペダルレイアウトはヒール&トウ対応。短いシフトレバーはステアリング左手直下で気分のいいシフトワークが楽しめた。このインテリアは70年追加されたS0HC‐1800GTと共通。

主要諸元 いすゞ ベレット1600GTR
バリエーション
1971年10月 ブラックマスクのベレG
ペレG‐Rの最終型71年モデル(右)。ヘンな顔、とファンはガッカリ。S0HC版の1800GT(PR95型)も同じ顔つき。
 エンジン 
   種類/型式
   ボアxストローク
   総排気量
   圧縮比
   最高出力
   最大トルク
   燃料供給装置
   燃料タンク容量
 トランスミッション
   型式
   変速比 1/2/3
         4/5/R
   最終減速比
 シャシ
   ステアリング
   サスペンション    前
               後
   ブレーキ       前
               後
   タイヤ
 ディメンション&ウェイト
   全長x全幅x全高
   ホイールベース
   トレッド     前/後
   最低地上高
   室内長x幅x高
   車両重量
   乗車定員
 車両価格(当時)
        116.0万円

直4DOHC/G161W
82.0x75.0mm
1564cc
10.3
120PS/6400rpm
14.5kgm/5000rpm
ソレックスx2
46リットル

4MT
3.467/1.969/1.356
1.000/−.−−/3.592
3.727

ラック&ピニオン
Wウイッシュボーン/コイル
ダイアゴナル/コイル&リーフ
ディスク
ドラム
165HR−13

4005x1495x1825mm
2350mm
1260/1240mm
160mm
1480x1240x1060mm
970kg
4名

エピソード

117クーべでもなくベレGでもないこのクルマ、いすゞ1600MXというミッドシップスポーツカー。エンジンはDOHC‐G161W。市販される準備は着々と逮められたが、オイルショックで結局日の目を見ぬまま消えた幻のモデル。もしかしていたら…。

当時のインプレッション
レースで磨かれてから市販されたことで信頼を得た車。独特のメカニカルサウンドが特徴で、2分割バンパーとボンネット上のエアアウトレットにより見栄えも精悍であった。OHVのGTが英国風であったのに対し、RはDOHC搭載により一転してイタリア的な雰囲気と手応えとなった。一方、SOHC化した1800GTは細部改良型でGTR並みのパワー、トルクが特徴のポピュラー版。テイストはこれもアルファロメオ的感覚。

広告

丸型ランプが娠やかに6個ついたペレG‐R。
この広告では、100万円の交通事故傷害保険つきの狼の紋章(カーバッジ)付き、とある。
また「いすゞば無個性な車はつくらない」と社名ロゴの上に謳っている。

カタログ
ペレットGTRのフットワークは、切れ味が鋭かった。
ダイヤゴナルの独得のサスペンションは大幅強化され、LSDも標準装備。165HRの高速ラジアルとうまくマッチングしていた。
G161W型パワーユニット。生産体制の問題=D0HCへッドが大量生産できなかったこともあり、コストが高くついてしまった。いわば手づ〈りのエンジン。剛性に富み、耐久性は抜きんでていた。

エポック

69年1月、警視庁は警官6800人を動員して、東大安田講堂たてこもる学生を強制排除。本郷、お茶の水一帯で学生や市民と警官隊がはげしく衝突。ついに東大は入試中止となる−。クルマも高性能・過激化して行くが、学生運動もこの年をピークにエスカレート。
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