日本のスポーツ車 1960〜1990



第34回  トヨタ セリカ600GT
(TA22型)1970年12月


最高速=190km/h 0→400m=16.5秒
(カタログ値)



元祖スペシャリティカー、そのすべてが新鮮だった。

 日本で”スペシャリティカー”という新しいジャンルを定着させた最初のモデルがセリカである。
ではスペシャリティカーの定義とは?となるとむずかしいが「スポーツカーでもセダンでもなく、しかしスポーティなムードも持つ」といったところであろうか。
 そのセリカのデビューは1970年(昭和45年)12月、兄弟モデルのカリーナとともに発売されている。
セリカとカリーナはパワーユニットからギアボックス、シャシなどをすべて共用しながら、車の性格やボディスタイルはまったく別という兄弟車で、高性能スポーティセダンのカリーナに対して、スペシャリティカーをうたったのがセリカであった。
そしてこのセリカの最強力モデルがDOHCエンジンを搭載して走りに振った1600GTである。
 搭載エンジンは4気筒、DOHC、1588cc、115PSの2T−G型て、トヨタの量産DOHCエンジンの先駆的存在ともなった”名機”である。
セリカシリーズは用意されたエンジン、ギアボックス、内装、外装などをユーザーの好みでオーダーするフルチョイスシステムなる仕組みを採用したが、1600GTだけはこの2TG型DOHCをはじめ、独特の内外装はすべてGT専用装備となり、下位グレードのLT、ST、ETにあったフルチョイスシステムは採用されなかった。
 セリカのスタイリングは発売前年の1969年(昭和44年)10月のモーターショーに出品されたプロトタイプモデル、トヨタEX−1のそれを生産型に生かしたもので、空力的にもすぐれたざん新なそのスタイルは発売直前のモーターショーでも人気を呼んでいた。
ボディに組み込まれた一体式バンパーも新鮮であった。
 1600GTはブラックのハニカムグリルやGTの文字入りサイドストライプ、黒一色の内装などで精悍さを強調、ギアボックスも5連のみで、最高速は190km/hというスポーツカーなみの性能を発揮した。
パワーウインドーや合わせガラスも標準で装備されている。
 1600GTVは1972年(昭和47年)8月から追加設定された”走り”のモデル。
パワーウインドーやAM/FMラジオなどは取り外して装備の簡素化をはかり、代わりに専用のハードサスや185/70HR13のワイドラジアルなどで足まわりを強化した走りに徹したマシンだった。
GTVの”V”はビクトリー(勝利)の頭文字から取ったという「勝つため」のマシンでもあった。ただし搭載する2TG型DOHCはGTと同じで、最高速の190km/hも変わらない。
 スポーツ派GTVに代表されるセリカのレース活動もGTVの登場前の71年後半あたりから開始されていた。
その一部をひろってみても71年11月のオールスターレース、72年3月の全日本鈴鹿自動車レース、同じくグランドチャンピオンシリーズ第1戦で1600GTはそれぞれクラス優勝、4月のレース・ド・ニッポン、5月の日本GPと鈴鹿1000kmレース大会、7月のオールスター・レース、11月のツーリスト・トロフィー・レースでいずれも総合優勝、というめざましさである。
 海外レースでも72年、73年のRACラリーで連続クラス優勝を飾ったのをはじめ、74年の南ア・トータルラリーの総合優勝、ニュルブルリンク・ツーリングGPでクラス優勝、74年、75年のマカオGPの連続総合優勝、75年のフランコルシャン24時間のクラス優勝などレースはもとよりラリーでも輝やかしい戦績を残している。
 1973年(昭和48年)4月にはLB(リフトバック)シリーズの設定で、LB1600GTも加えたが、排ガス規制の強化で1975年(昭和50年)11月から、2T−GR型はしばらく生産中止という憂き目に会い、1600GTはスベシヤリティカーという新ジャンルを残しながらも、一時退場となった。



スペンャリティ力ーとして誕生したセリ力はすべてに新しかった。
GTのメーターパネルはとても30年前のものとは思えない。
 セリ力/カリナ用に開発されたT型 (0HV)エンジンをべースにD0HCとしたのが2T−G。 最高出力は115PSの高出力タイプだ。 スヘシヤリティカーというジャンルはすでにアメり力車によって確立されていたが、それを日本に持ち込んだのはセリカだった。最高グレードのGTで87.5万円はやはり格安だった。

主要諸元 トヨタ セリカ1600GT
●カタログ
セリカはフルチョイスシステムをとっていたが、GTだけは専用設計だった。写真はGT。
 エンジン 
   種類/型式
   ボアxストローク
   総排気量
   圧縮比
   最高出力
   最大トルク
   燃料供給装置
   燃料タンク容量
 トランスミッション
   型式
   変速比 1/2/3
         4/5/R
   最終減速比
 シャシ
   ステアリング
   サスペンション    前
               後
   ブレーキ       前
               後
   タイヤ
 ディメンション&ウェイト
   全長x全幅x全高
   ホイールベース
   トレッド     前/後
   最低地上高
   室内長x幅x高
   車両重量
   乗車定員
 車両価格(当時)
      87.5万円

直4・DOHC/2T-G
85.0x70.0mm
1588cc
9.8
115ps/6400rpm
14.5kgm/5200rpm
ソレックスx2
50リットル

5MT
3.587/2.022/1.384
1.000/0.861/3.484
4.111

RB
ストラット/コイル
4リンク/コイル
ディスク
LTドラム
6.45H-13−4PR

4165x1600x1310mm
2425mm
1280/1285mm
170mm
1625x1330×1070mm
940kg
5名

●広 告

セリカのキャッチコピーは「未来の国からやってきた……」だった。
GTの外観とインパネをイラストで紹介している。
●当時のインプレッション
当時としては画期的なフルチョイスシステムという、いわばDIY(Do It Yourself))的なオーダーが可能だった初代セリカ。
GTは2T-Gと呼ばれた、最も高性能なツインカムユニットを搭載したモデルだったが、その外観ほどの高性能は感じられないモデルで、特にエンジンの吹け上がりは必ずしも満足のいくものではなかった。ただ当時、どの車にもなかったスペシャリティのぜいたくさは持っていた。

●バリエーション
1972年8月 セリカ1600GTV
 1600GTから豪華装備(パワーウインドー、AM/FMラジオなど)を取り払って、走りに徹したモデル。
エンジンは同じ2TGだが、専用のハードサス、185/70HR13ワイドタイヤを装着していた。

●モータースポーツ
スペシャリティカーとして誕生したセリカGTだったが、エンジン、サスペンションはモータースポーツでも十分通用した。国内では数々のレースで総合優勝(日本GP、鈴鹿1000kmなど)を飾り、毎外でもレース/ラリーで大活躍した。
●エピソード
●プロトカーから生まれたセリカ
69年の第16回東京モーターショーはトヨタが出展したプロトカー、EX−1に話題騒然となった。
すでに米国ではサンダーバードやマスタングといった「スペシャリティカー」(実用性そしてドライブの楽しさやオリジナリティを求めた車)が売れていたが、このEX−1は日本にもそんな時代が来ることを匂わせたのだった。そして翌年10月、現実化バージョンのセリカがデビュー、そのボディにはEX−1の面影が色濃く残されていた。
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