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第62回 マツダ サバンナRX-7 (SA22C型)1978年3月 |
最高速=200.00km/h 0-400m=15.8秒(テスト値) |
ポルシェに真っ向勝負の本格派スポーツカー。 70年代の中盤以降に登場したスポーツモデルの中でも、このサバンナRX−7ほど衝撃的なデビューを飾った車も珍しい。 70年代、日本の自動車メーカーは、厳しい排ガス規制への対応に終始した感が強く、実際に市場も高性能なスポーツモデルには、若干冷たい視線を浴びせていたようにも感じられる。 78年にマツダから発表されたサバンナRX−7は、そのような市場に突如として投入された野心作であった。 まず大きな話題となったのは、それまでの日本製スポーツモデルの常識を大きく打ち破ったグラスハッチバックを持つスタイリングで、ボディ全体はワイド&ローのデザインコンセプトに基づいた極めてスタイリッシュなものにまとめられた。 洗練されたスラントノーズを実現したリトラクタブルヘッドライトも、まだ当時としては大きな話題だった。 もちろんリトラクタブルヘッドライトの採用は、空カ特性の追求に最も大きな理由があったわけだが、実際にはその採用によって得られたフロントノーズ回りの造形が、ヨーロッパで生産されるスポーツモデルに匹敵する美しさを発揮していたことがユーザーサイドの大きな話題だった。 実際にこのRX−7のスタイリングを今改めて眺めてみても、さすがに現代の空力ボディと比較すると古典的な趣を感じさせるものの、まだまだその魅力が損なわれていないことは明白だ。 当時マツダ側から発表された空気抵抗係数、すなわちCd値は0.36。ちなみにこのCd値は、当時の日本車の中では最高水準にあった数値である。 搭載されたエンジンは、53年排ガス規制をクリアした12A型ロータリー。 12A型エンジンに関して、マツダはすでに量産車種への採用を終えていたが、このRX-7に搭載されたものは同じ12A型でも、吸気ポートの形状を変更するなど若干の改良作業を経て、最高出力で従来型に5PSのアドバンテージを持つ130PS/7000rpmを発揮するものであった。 ミッションは5速MTと3速ATの両方が用意されていたが、もちろんスポーツ性という点で高く支持されたのは5速MT版。 インテリアもスポーティな雰囲気にまとめられており、インストルメントパネル内には視認性に優れたアナログメーターが、タコメーターを中心に配置され、ステアリングホイールも38cm径のスポーツタイプが備わった。 強くスラントしたノーズラインは、リトラクタブルヘッドライトの採用によるところが大きいと前に書いたが、もちろんボンネットラインを低く描くことができた理由はほかにもある。 それはエンジンのフロントミッドシップ搭載で、実際にRX−7のボンネット内を覗いてみても、12A型ロータリーエンジンは、その軽量コンパクトという特性を最大限に生かし、驚くほど後方にマウントされているのがわかる。このフロントミッドシップ方式は、スタイリング面に大き〈貢献したことはもちろん、前後輪の重量配分を適正化するためにも採用の意義は大きかった。 パワーウエイトレシオで7.73kg/PSという値は、やはり当時の日本車の中では相当に魅力的な数字だった。 その走りはさすがに強烈で、高性能RWDモデルらしいダイナミックな走りを楽しむことも容易だった。 RX-7が真のライバルと目したのは、もちろんヨーロッパ各国で生産されるスポーツモデル。ヨーロピアンスポーツを超越することさえ不可能ではないと思わせた圧倒的なパフォーマンスは、現在でもなお新鮮な記憶だ。 RX-7には、83年の秋にターボモデルも追加設定されることになる。そして85年にはフルモデルチェンジが行なわれ、セカンドジェネレーションヘの発展を遂げるのだが、その間モータースポーツシーンに投入されたRX-7もまた大活躍をみせた。 日本のスポーツカーセグメントに新風を巻き起こしたRX-7。そのホットな走りも今年の夏を最後に最終モデルの生産が終了している。
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低いノーズとリトラクタブルヘッドはロータリーエンジンのコンパクトさを生かしたものだ。 コクピットは飛行機のキャノピー風。個性的リフトバックウインドーとリアデッキを持つリアスタイルは、後方から見た時の認知度が高い。 |
主要諸元 マツダ サバンナRX-7 |
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エンジン 種類/型式 ボアxストローク 総排気量 圧縮比 最高出力 最大トルク 燃料供給装置 燃料タンク容量 トランスミッション 型式 変速比 1/2/3 4/5/R 最終減速比 シャシ ステアリング サスペンション 前 後 ブレーキ 前 後 タイヤ ディメンション&ウェイト 全長x全幅x全高 ホイールベース トレッド 前/後 最低地上高 室内長x幅x高 車両重量 乗車定員 車両価格(当時) 169.0万円 |
2ローター/12A −− 573ccx2 9.4 130ps/7000rpm 16.5kgm/4000rpm キャブレター(2ステージ4バレル) 55リットル 5MT 3.674/2.217/1.432 ].000/0.825/3.542 3.909 RB ストラット/コイル 4リンク+ワットリング/コイル Vディスク LTドラム 185/70SR13 4285x1675x1260mm 2420mm 1420/1400mm 155mm 1460x1360x1030mm 1005kg 4名 ※出力はグロス表示 |
●バリエーション 1980年11月 SEリミテッド(SA22C型) 79年3月にサンルーフが付いたSEシリーズを追加、同10月にも細部変更(希薄燃焼型RE12A)を受け、80年11月にフェイスリフトを含めたマイチェンが行なわれた。ボディ一体式のウレタンバンパー、ローター型アルミホイールが特徴だ。SEリミテッドは5速で220万円。 |
1983年9月 ターボGT-X(SA22C型) 82年3月に省燃費型の6PlIエンジンを採用し、装備の充実を計ったマイチェンが行なわれたが、周辺のパワー競争に負けじと165PSのターボ車が登場した。ゼロヨン14.97秒、最高速221.20km/hを誇った。ターボGT-X5速は215.2万円。 |
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●カタログ このカタログを億えている人も多いはず、インパクトは強烈だった。 マッハグリーンのイメージカラーが、シンプルな構図だけに、まぶしいほどの輝きを放ったカタログだった。 この後、リトラクダブルが開いた状態のカタログも登場したが、平凡なものだった。 |
●広 告 発売時の雑誌広告もイメ‐ジカラーのモデル(リミテッドのみ)を中心に行なわれた。 マッハグリーンと名付けられた色は、ファミリアApにも採用され、しだいにその個性的色あいをなくし、最後はカタログからも消えた。 しかし、RX‐7初期型=マッハグリ‐ンは初代セリカGTV=モスグリーンと同等以上の強い存在感があった。 |
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●モータースポーツ 79デイトナでの5〜6位入賞という快挙を見せたRX-7が、その余勢をかってル・マンに2回目の挟戦。むろんRX-7としては初めてで、車名はRX7 252i。ボディはムーンクラフト、エンジンはスポーツシーンではおなじみの一3Bぺリフェラルポートで285PS。エントラントはマツダオート東京からで、ドライバーは寺田陽次郎、生沢徹、クロードプジェト。結果こそ残せなかったが、今思えば初優勝への貴重なステップだった。 |
●エピソード ポルシェに次ぐ高性能車だった 初代RX−7は世界に通用する国産スポーツとしての地位を他車に先駆けて築き上げた。パワーウエイトレシオは7.73kg/PSと当時、国産最高。最高速やゼロヨンでもライバルを圧倒していたため、ポルシェとの比較が頻繁にされた。924Sや928との対比では、0→400m加速は928の15.5秒に迫る15.8秒で2位。0→100m加速も928の7.5秒に次ぐ2位とそん色がない。カタログ上200km/hの最高速も928に次ぐ2番手の数値である。 ●燃費との戦いも鮮烈 「ロータリーは燃費が悪いですからね」。ライバルメーカーのセールスマンにとっては切り札になるセリフだ。RX‐7は細かい仕様変更で少しずつだか燃費向上に成果を上げていった。78年3月に6.5km/L(10モード、以下回じ)だったものが、79年3月に8.4km/L、80年11月に9.2km/L、62年3月には6PIの採用でなんと10キロの大台にのる10.2km/L。あくまでカタログデータではあるが、この努力には凄まじいものがあった。 |
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●当時のインプレッション 最初にRX-7に塔載された12A型REは,最高出力130PS。これでも他車からみれば圧倒的にパワフルで、とくに4000rpm以上でのパワーの盛り上がり感とレスポンスでは他に敵がいないほど。しかも、当時としては画期的なフロントミッドシップによる理想的な重量配分を持つボディにより、きわめて優れた回頭性を持っていた。初期モデルでは限界域でリアが急に流れるトリッキーな面もあったが、次第に改良されていった。 |