日本のスポーツ車 1960〜1990



第77回 いすゞ ピアッツァXE
(JR130型)1981年5月

0-400m=17.73秒(テスト値)



鬼才ジウジアローデザインの117クーペの後継車。

 いすゞは68年に、ジウジアーロデザインの流麗なボディを持った117クーペをデビューさせているが、その後継車として81年に登場させたのが、117クーぺと同じくジウジアーロの手によるボディを持ったピアッツァ(イタリア語で「広場」の意味)だ。
そもそもこのデザインは、アウディのシャシコンポーネンツを使ったスベシャリティカー用に描き起こさせれたものだったが、途中でベースをジェミニに変更。海外のモーターショーでは、ジウジアーロの作品として数回展示されているが、後に市販を前提としたモディファイを受けていすゞから市販されることになった。
 2ドア+ハッチバックの基本形態のボディには、可動式のセミカバーを取りつけた異形ヘッドランプの採用など、独特のアイデアがふんだんに盛り込まれていた。全体的な造作にしても、ジウジアーロ作品の新しい傾向となりつつあった、曲面多用のソフトなイメージで、気品を感じさせる上品な雰囲気を特徴としていた。
 ところが81年当時の国産車といえぱ折り紙細工のようなシャープなエッジを持ったデザインが大流行。そのためか発売当初のピアッツァは、話題性の高さの割に販売台数が伸びず、失敗作の声も出てくる始末だった。
だが後になって、国産車のスタイリングの傾向が曲面を使う方向に変化し、同時にピアッツァの良さも再認識されるようになってくる。
つまりこの時点では、ヨーロッパの最新モードに日本人の感覚が追いつけなかったということなのだろう。
 ピアッツアのボディで特徴的だったのは、デザインだけではない。徹底したフラッシュサーフェス処理は、他の国産車よりも確実に先行していた。
ウインドーまわりを中心に、ボディ表面の凹凸を極力排除。まとわりつこうとする空気がスムーズに後ろへ流れるようにしているわけだ。
 内装についても、ピアッツァはジウジアーロデザインを忠実に再現したクルマだった。
XEに標準装備となったデジタルメーターも先進的だったが、メーターナセルの両脇に操作系を集中させたサテライトスイッチは、それまでのコックピットデザインとは全く異なるもの。4名乗車に割り切ったリアシートにしても、いかにもヨーロピアンデザインらしいムードを演出していた。
 搭載エンジンはどのグレードも2000cc直4のG200型。ただし最上級グレードのXEに採用されたのは135PS/6200rpmの最高出カを発生するDOHC版だった。エンジン自体は117クーペから受け継いだものだが、コンピュータによるエンジン制御システムI-TECの採用で、現代的な味付けを行なっていた。
 サスペンションは前がタブルウイッシュボーン、後は3リンク+コイルが採用された。もちろんこれは、シャシのべースがFRジェミ二だったため。
本来なら排気量も車重も増えているピアッツァには、最新の4輪独立サスを備えたシャシを与えたかったところなのだろうが、開発コストなどの関係からこのような選択になったようだ。
 しかしジェミニのシャシは、すでに基本設計が古かった。つまりポディの先進性とは裏腹に、クルマとしての基本部分が旧態依然としていたわけだ。
 走りにしてもFRの良さを生かした味付けが行われて非常に素直な特性は見せたものの、最新鋭のライバルと比較すると絶対的な限界性能が低かった。結局、このへんがピアッツァの最大のウイークポイントとなってしまった。
 84年にはアスカ用に開発された新エンジンの4ZC1ターボが搭載されるようになり、さらに85年には西ドイツのチューナーによってチューンされた”イルムシャー”も追加される。
また87年のマイナーチェンジでは、G200エンジン措載モデルがなくなり、ターボ/ノンターボともに4ZC1になっている。



スタイル抜群のピアッツァもフットワークと工ンジンの非カさがやや難といわれていた。 G200型DOHC1949ccエンジン。出力は135ps/6200rpmを発揮する。しかし、当時としてもパワー的な非力さや高回転域での騒音が指摘されていた。 高級グレードのXEには、当時は流行だったデジタルメーターが標準装備であった。さらに左右に配置されたサテライトスイッチも特散である。


主要諸元 いすゞ ピアッツァXE
●バリエーション
1985年11月 ピアッツァ・イルムシャー
 
84年9月に2000ターポを追加したあと、85年11月にイルムシャ一をラインアップに加えて、シリーズの充実化を図った。フットワークに荒々しさが残っていたピアッツァも、その汚名を大幅に挽回したといえる。
 
  エンジン 
    種類/型式
    ボアxストローク
    総排気量
    圧縮比
    最高出力
    最大トルク
    燃料供給装置
    燃料タンク容量
  トランスミッション
    型式
    変速比 1/2/3
          4/5/R
    最終減速比
  シャシ
    ステアリング
    サスペンション 前
              後
    ブレーキ      前
              後
    タイヤ
  ディメンション&ウェイト
    全長x全幅x全高
    ホイールベース
    トレッド    前/後
    最低地上高
    室内長x幅x高
    車両重量
    乗車定員
  車両価格(当時)
          246.5万円

直4・DOHC/G200
87.0x82.0mm
1949cc
9.0
135PS/6200rpm
17.0kgm/5000rpm
電子制御燃料噴射(I-TEC)
58リットル

5MT
3.312/2.054/1.400
1.000/0.840/3.550
3.909

R&P(パワー)
ダブルウイッシュボーン/コイル
3リンク/コイル
Vティスク
ディスク
185/70HR13

4310x1655x1300mm
2440mm
1345/1355mm
155mm
1745x1400x1040mm
1190kg
5名

  (表示はネット値)

●カタログ
スーパーカーのデザイナーで有名なジウジアーロは、いすゞの117を世に送り出した鬼才だが、117の後継車たるピアッツァのデザイナーも務めた。当時は角ばったクルマが多い中でこの流麗な丸味を帯ぴたスタイリングは、日本の大衆には違和感を与えたが、現代でも決して見劣りしないシルエットに先見性が見てとれる。

●当時のインプレッション
ジウジアーロのスタディ・モデルをほぼ忠実に生産モデル化した極めて珍しいケースの車だ。それだけに工クステリア、インテリアのデザインと生産技術面に新鮮な工夫が沢山見られるが、メカ二ズム的にはさして先進性がないのでドライビング・フィールは平凡である。特にサスペンションはスポーティではなく、純クルージング志向の設定で可も不可もない。コントロールする楽しみはあまりない車だが、正調イタリアはたっぶり味わえる。
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